就職活動中の大学生、また転職活動を行っている20代から30代の方へ…
決して、マンション販売の会社に足を踏み入れてはいけない。特に中小のファミリーマンションの販売会社や投資マンションの販売会社は・・・・絶対にやめたほうが良いだろう。
そのような会社は誰だって簡単に採用してくれる。中小のマンション販売の会社は学歴など求めないからだ。
足を踏み入れたら地獄の生活が待っている。きっと、入社して2日、3日で辞めたくなってしまうだろう。
もしも、就職活動を行っている10年前の自分に会えるとしたら、、、マンション販売の会社には入社するな、説明会にも行く必要はない・・・!と僕はアドバイスしてることだろう。
始まりは2006年の2月だった
ぼくは大学3年生のときに就職活動をおこなっていた。新卒のリクナビサイトから、色んな企業の説明会やら一次試験、筆記試験などを片っ端からエントリーしまくってたと思う。
上場企業、外資系の会社、コンサル会社、ゲームメーカー、食品メーカー
だが、どこも一次エントリーで落とされまくってたと思う。何故か、当時の僕は、『俺に出来ないことはない。必ずどこの企業の面接も受かるだろう!』と自信だけはあったのだが、、、いとも簡単に鼻をへし折られてしまった…
そりゃ、今考えてみたら、しょうがない。エントリーシートは綺麗に書けてなかったし、面接の練習もしていなかった。ただ、一人で黙々と沢山の会社にエントリーしまくって、落されまくってただけの話。
通っていた大学も、頭の良い大学でなく、周りの人間は就職活動などしていなかったような集まりだった。
マンション販売の会社や人材派遣の会社、OA機器の販売会社など面接を通過するが、、
結局、就職活動が面倒になってしまって、マンション販売の会社に入社することにした。
誰でも簡単に入社できる
マンション販売の会社は誰でも入社できる。中小のマンション販売の会社の求人を見てみればわかるだろう。
学歴不問、高卒OK、やる気求む!といった求人が多いだろう。
会社の規模が40人から50人になってくると、、どこも新卒採用に切り替えていくが・・・中身はめちゃめちゃブラックにかわりはない。
何度も言うが、大手マンション販売の会社を除く、中小のマンション販売の会社は・・・絶対にやめたほうが良い。
中小のマンション販売の会社はやめておけ
中小のマンション販売の会社はやめたほうが良い…
飛び込み営業、テレアポ営業、ノルマあり、数か月売れないと基本給がダウンなど…
安定した職業とはいえない、過酷な現場も多いのだ。
稼ぎたいと思う人間も…やめておけ。
自分自身を洗脳して、会社の一兵隊になって、自分の体を24時間、月に1回も休みをとらずに酷使すれば
年収700万円から1000万円は3年目から4年目で達成できるかもしれない。たかだが年収700万円から1000万円程度だよ。
そんな人生たのしいか? スキルやノウハウは身につかず、、ただカラダを酷使して稼ぐだけ。
25歳、30歳を過ぎたら、、、人生引き返せなくなるぞ。他の業界にはいけない、たいしたスキルも身につかない業界だからな。
哀れな先輩方や上司・・・
僕はマンション販売の会社3社に働いていたことになる。
いまだに元上司や先輩と連絡をとっている。しかし、彼らの現在は哀れだよ哀れ…だれも大成していない。それどころか、落ちぶれてしまっている。
その3社で50人から60人の先輩、元上司がいたが、、、その後ちょっと成功してる人なんて2人から3人程度だ。
GF会社のN部長は独立して失敗。H課長は仲介会社の社員。
GL会社のN次長、S部長はマンション販売の会社の派遣社員になっている。
E会社のF部長、N部長は小さな街のしながい不動産屋のいち社員。O部長は他業界に転職。
3社とも50人から100人規模のデペロッパーだったが、その3社の次長、部長たちは・・・いまや年収400万から700万円程度・・・
こんなもんだよ。マンションの販売会社の部長になれたとしても、転職したら、また一からのスタートなんだぜ(+o+) 50代の元部長なんて、どこの会社も欲しがらないからな。
中小のマンション販売の会社に勤めていても、将来に夢はないぜ…
あるとしても、仕事がバリバリできるスーパーマンぐらいだ。そんなの50人から100人に1人の割合だろう。
倒産を繰り返す…
僕が勤めた会社はすべてなくなっている。1社は社長が会社を身売りした。残り2社は倒産だ。
財閥系のデペロッパーや上場してるマンション販売会社を除く、中小のマンション販売の会社は倒産リスクが高い。
そして、マンションの販売会社に勤めた者は、転職が出来ないということをご存じだろうか?
他業界ではつかえないスキルだからだ。転職できたとして、高卒でも雇ってくれる営業職ぐらいだろう。
OA機器の販売、訪問販売、飲食店、、、仕事内容は限られてくるはずだ。
倒産リスクが高く、他業界に再就職できない仕事・・・それがマンション販売の仕事だ!
マンションの販売会社に勤めた苦い思い出…
マンションの販売会社に勤めた苦い思い出をお伝えしよう。この僕の思い出をぜひ参考にしてほしい。
そして、同じような経験を決してしてほしくない…
僕は3社あわせても2年から3年満たない…長続きしない性格が幸いしたおかげで、マンション販売の業界を抜け出すことができたのだろう(笑)
ぼくは当時のマンション販売の会社の部長たちを今は超えているだろう。超えているというのは、現在の年収とか資産とかの話だけど。
□GF
新卒で2007年4月に入社したマンション販売の会社。
2007年3月に新卒社員23人で二泊三日の沖縄研修にいくことになる。
沖縄の研修では、スーパーで売ってる お茶っ葉を、沖縄の人達に飛び込み営業で売るという罰ゲームみたいな過酷な研修。僕は2日間沖縄の一戸建てを飛び込みしまくって、お茶っ葉2個売れた。同情で売れただけだよ。
2007年4月静岡のモデルルームに新卒社員5人が飛ばされる。その内の1人が僕。
夜の9時まで飛び込み営業か電話営業。ターゲットは独身男性、夜の9時から12時までチラシ折り。
そのマンション販売会社の方針が、ターゲットは30代から40代の独身男性にマンションを売りつけろというもの。そんなことが3ヶ月続いて、2007年7月に辞めた。その翌年の7月に会社倒産したみたいだけど。
その会社に勤めていた時は車を運転してるときに、思いっきりアクセルを踏んで事故おこしてやろうかと、、、何度もおもったもの。それぐらい、ストレスがたまっていたのだろう。
GL社
2007年8月に入社したマンション販売の会社。よくよく考えたら、またマンション販売会社に転職するなんて全然学んでなかったな当時の俺(笑)
ここの会社も飛び込み営業。足立区のモデルルームに配属させられ、朝の10時から18時までチラシまき&飛び込み営業、18時から21時まで飛び込み営業または消費者金融のATMでキャッチ、21時から深夜1時までチラシまき。たまに深夜3時までチラシまきや電ビラ
この会社では、めちゃめちゃ働いていたと思う。休みは2週間に1回あるかどうか…同じ現場では1人鬱になってたな。。。うまくさぼれる人間か、自己洗脳をしっかり行って成績出せる人間じゃないと、やっていけない現場だった。
ちなみに消費者金融のATMでキャッチとは、借金がある人間をつかまえて、『住宅を購入することで借金が返せますよ~』という滅茶苦茶なやり方。借金を肩代わりして物件価格に借金分乗せて住宅ローンを組んでもらうのだが、銀行にばれて取引停止になったけどね。深夜の電ビラも、警察に捕まったことあり。電ビラとは、電柱に住宅チラシをはる行為。これは迷惑防止条例にひっかかること。
2008年にこの会社も倒産。サブプライムによるリーマンショックや銀行取引の停止など、悪要因が重なってしまったからな。
E社
入社早々に茨城のモデルルームにとばされた。茨城のモデルルームでは10人から15人いたのだが、皆まともに仕事をしていない人間ばかりだった。3社の中でも一番ふざけた会社だった。
部長や課長、社員たちが日中、花札や麻雀ばかりやっている。ここにいると、人間くさってしまう現場だった。みな、仕事しないで遊んでるんだもの。仕事をしていたら、怒られるのである。
皆があそんでいるため、モデルルームにいる間に宅建の勉強をする時間がつくれたので、宅建合格することができたわけだが…
宅建合格してからは、まじめに仕事をするようにして、自分専用のチラシをまいて、近隣への飛び込み営業もして、2ヶ月から3ヶ月で、5戸売ることができた。
しかし、途端に、東京の葛飾区のモデルルームにとばされた。どうやら、その現場の部長や課長の反感を買ってしまったらしい。中途社員である僕が、短期間で5戸売ってしまったせいか、社長や本社の重役から茨城の営業マンたちが仕事をしてないと勘ぐられたようだ。
現場の部長たちは、僕が問題を起こす社員だと・・・勝手にウソの口実をつくってしまって、、、他モデルルームに僕はとばされたのだ。
葛飾区のモデルルームにとばされてからは、もうマンション販売の会社はやめようと決意する。こんな、ドロドロしたまともじゃない業界なんて・・・
ただ、この3社に勤めていたおかげで若くして400万円の貯金をすることができた。
マンション販売の会社を卒業
GL社での歩合給や表彰金、E社での歩合給など、もらった給料は22歳から23歳ということを考えると大変よかった。ただ、2年から3年間、全然休みをとってなかったけどね。
短期間で400万円の貯金をすることができたため、もうマンション販売の会社をやめる決意をした。
このお金で、しばらくは仕事をしないで、公務員の予備校に通う…と母親に相談をする。
なんだかんだで、、、その後、公務員にならずに、、不動産仲介業やアパレル業の経営にたずさわることになったが。
いまでも、思う。本当にマンションの販売会社を離れることができて良かったと…